ミヤムラリゾート 情報
第26回 聞いて下さい私の独り言 speaking to one self アーサーと私とスチーブ)アメリカ人は自分の車は出来るだけ自分でなおす、
私の働いていたPalmerTennisでコーチをしていたスチーブがドイツ製の中古車Opelを買ったので乗せてもらうことになりました。
1976年当時フロリダでは日本車ではトヨタカローラが大衆車としてよく見かけましたが人気あるのはBMW、ベンツ、ポルシェ等のドイツ車でした。
Opelもドイツ車なのでわたしは乗せてもらうのを楽しみにしていましたが、車に乗せてもらってゲインズビル市内を走行中、暗くなって来たのでライトを付けた瞬間にライトは消えエンジンもストップしてしまいました。
私は思わず大笑いしてしまったのです、その時スチーブはえらい形相で怒りだし人が困っている時に何故君は笑うんだと言うんです、考えてみますと日本人はこういう突然のハプニングで笑う癖があるみたいでまずい雰囲気になり困ってしまいました。
バッテリーに問題があったみたいで取り替えるとその後は快調にはしりました。
アメリカ人は車が故障した場合すぐ修理工場に持って行くことはせず自分で修理しようとします部品も新しいのを買わないで地域にある何百台も山積みされている廃車場で同じような車を探し部品を取り外し店の係員に部品代金を払うのです、当然部品は安く新品の部品や修理工場は高いのでどうしてもという時以外利用しません。
テニスキャンプには欠かさず参加していた岩本光雄さんの告別式に参列して来ました。
ミヤムラテニスセンター時代から20年以上に亘ってプライベートレッスン、テニスキャンプの伊豆ロビング、山梨忍野のパインロッジ、沖縄ユインチホテルキャンプ等には必ず参加してくれていた岩本光雄さんの葬儀に、同じようにいつも京都から参加の綱島さんと参列して来ました。
デザイン会社を経営していた岩本さんらしいお葬式で祭壇の横にテニスコートが描かれラケット、ウェアーをまとったマネキンがテニスをしているが如く立っていました、生前使っていたラケットが並び車に乗っている時は必ず被っていたハットも10点以上飾って有りました。
奥様の話では献血も100:回以上していて108回を目標にしていたそうですが成し遂げる事は残念ながら出来なかったみたいです。
彼は多摩グリーンロータリークラブに所属している時も車椅子テニスプレーヤーに多額の渡航費用を応援サポートしたりもしていました。
帰り際に奥様から私と綱島さんに遺品のハットを頂きました。
岩本さんは私と同じ山口県出身で年齢も近いことから学ぶ事も多く親友を亡くしたようで寂しい限りです。
死因は心筋梗塞で倒れた時に頭を強く打ち脳内出血を起こし二つの要因が重なり難しい状況だったそうです。