ミヤムラリゾート 情報
ミヤムラの元コーチのConor Caseyが奥さんCarolannと共に観光の為来日

Conor Caseyはケーシー家の次男で長男はPaul 3男はOwenですが長男のPaulは40年前にアメリカの大学を卒業してミヤムラでコーチとして1年半働きました。
当時はインターネットもない時代で英語を話す外人のコーチは日本ではまだ珍しく大変人気がありました。
また数年後に次男ConorはPaulのようにミヤムラでコーチ術を勉強したいとやって来たのです。
Conorも2年近く働いた後、帰国、ダブリンで兄弟でCasey Tennisを立ち上げ今に至ってます。
私は2度ほどアイルランドを訪問する機会がありましたが特にジュニアは大変な盛況で近い将来有望な選手が出てきそうな盛りがりがあります。
末っ子のOwenはアイルランドのデビスカップ代表でオリンピックにも何度か参加してました、USオープンにも出ていて当時の日本のトップ選手であった辻野隆三選手と戦い接戦の末負けてしまいました。
このようにケーシー家はテニスFamilyです。
Conorと奥さんのCarolannは結婚して30年近くになりますが奥さんは成人の息子さんがいるのに、若くて綺麗なのにはびっくです。
新宿で鉄板ステーキを食べに行きましたが、鮨、食べに行こうか? と尋ねると鉄板ステーキがリクエストでした。
三週間の旅行は東京見物に始まり箱根、京都、大阪と周りこれから沖縄も行くと言ってましたがCarolannのお父さんGerryが94歳で突然亡くなり急きょ帰国することになり残念ながら沖縄はお預けになりました。
お父さんのGerryは昔ミヤムラに在籍していたKen Cashinコーチのお父さんで30年以上前にスクールに見学に来たことがあります、その時は伊豆ロビングに泊まり伊豆の温泉に一緒に入った思い出が有ります、こん回
は旅行中で大変なタイミングでしたかコナー夫妻には心からお悔やみ申し上げます。
また’三週間の旅行を切り上げて帰ったコナー夫妻には今度来日する時は是非沖縄に行ってほしと願ってます。
中野サンプラザ再開発足踏みのニュース
中野サンプラザでスクール生のクリスマスパーティーを1980年代に毎年10回位実施しました、一番広い15階のシルバールームにバンドも入れて約120名位集める事ができました。
テニスブームというかスポーツは何をやっいるのと若い人に聞くとテニスというこたえが返ってくる時代でした。
結婚式のスピーチでも出会いはテニスということでテニスは若い世代に婚活で人気があるスポーツでした。
私のスクール生、中でも何十組のペアがゴールインしたことか、それが今はテニスは日焼けするからと顔を布で殆ど隠し強盗にでも行くのかと思われる格好でテニスするわけですから魅力は半減です。
私の結婚式も43年前このシルバールームでした、思い出の沢山ある中野サンプラザ再開発で何に生まれ変わるのでしょう。
ミヤムラサマーテニスキャンプ山中湖


台風接近の予報の中ミヤムラサマーテニスキャンプ山中湖は行われました。。
海抜1000メートルの山中湖畔の山吹荘のコートは涼しく例年に比べて湿り気があり最高のコンディションです、富士山の全景を毎日眺めながらのレッスンも初めてになります。
夕食は去年に続き友人の板前さんによるバーベキュー料理で半端ではなく美味しいものでした。
子ども達のため?に都会では出来ない花火も沢山やりました。
参加者には京都、名古屋、秋田、横浜、東京等さまざまですが産後の宮村 美紀プロ、移住した沖縄から駆けつけた知宏コーチのレッスンを皆さん楽しんでました。夜は17℃くらいで寒くて布団がいる程です。
最終日午前中3時間はあいにくの雨なので室内40畳を使ってボレーレッスンをミヤムラ特別メニューで行いました。
来年予定
2027年1月8日から1月11日
ユインチホテル南城
VIC BREDEAN TENNIS ACADAMY 1978
カルフォニア州のロスアンゼルスから南に車で2時間位の場所にビッグブレーデンテニスアカデミーはありました。
宿泊付で1週間位の一般、選手等を対象に教えるコースがあり、売りはトップスピン打法、コートのアチラコチラにトップスピンのラケットの振り方の軌跡が描いてあり生徒は素振りを絵の前で振っていました、またオートマシーンが円形に沢山並んで設置してあり生徒はマシーンから出てきたボールを打つのです。
ビックブレデンで教えているトップスピンの軌道はトップスピンロブを打つような当たりの薄い回転を重視した感じなので打ちごたえがないので私は自分のいつも打っている打ち方でボールを打っていたら、見ていたビッグブレデンがその打ち方何処で習ったと聞かれたので我流ですと伝えるといい打ち方だと言われたのでこれでいいんだと思いました。
テニスコートにはシングルス、ダブルスの狙いどころがカラフルに描いてあり、クラブの入り口付近には幼少時のトレーシーオースチンがビックブレデンに抱きかかえられて習っている写真が飾ってありました。
ビックブレーデンテニスアカデミーは機械から放たれるサーブをリターン、機械から出てきたボールを沢山打つ、当時流行っていたトップスピンをマスターする事を基本に教えてました。
ボールを打っている私の写真は予期しない突然の球出しに慌てて打っているフォアハンドショットです。
アメリカで有名指導者の一人、アレックス メイヤーのレッスンを受けました
1978年、フロリダ大学の卒業生でニューヨークのアメリカテニス協会で働いているエイミーに協会を訪問した際に隣のニュジヤージ州で教えているアレックス メイヤーのレッスンを受けてみないかと誘われ特別にお願いする事にしました。
60歳を過ぎていると思われる彼がサーブを教えてくれたのですが、デモストレーションで見せてくれるサーブの確率の凄さ全てが的に当たりスピンサーブ、スライスサーブもデモストレーションしてくれるのですがフォームは滑らかでとてもその年齢のサーブには見えません。
息子さん2人はテニス選手でジーンはスタンフォード大学在学中の1976年、全日本選手権に出場、当時のデ杯選手を決勝で6−2 6−1 6−1で負かし優勝、その後ジーンとサンデーは世界のトップ10にはいる活躍でした。
レッスン終了後アレックスに夏休みにサマーキャンプをやるのだけど手伝ってくれないかと誘われましたが自分にも予定があり断る事になりました。今考えるといい勉強のチャンスだったかもしれません。
