

第2回沢山の方に羽田空港で見送られタラップからカワサキの木のラケットを振りながらロスアンジェルスに向かう私ですが、飛行機に乗っている最中に祖母は亡くなったと後で聞かされました、残念です。
祖母は私の母の親ですが、私が小学生だった頃良く我が家にバナナを携え、来てくれました。
なんだ,バナナかと思われるでしょうがバナナは当時 高級品で病気しないと食べられないくらい貴重な物でした。
今は安い果物の 代表になっていて玉子と並んで物価の王様、物価の優等生と言われる 品物ですが、当時は今の高級メロンに匹敵するくらい高額な物でした。
バナナを携えて来る途中、遊んでいる私を発見する否や、ひろしちゃん ひろし、ひろしぃーと大声で叫びます。
早く家にもどれということです。 祖母はバナナと小遣い20円をいつもくれるので盾は突けません、小遣い 20円は当時アイスキャンデーが5円でしたからお年玉の次ぐらいの 嬉しい出来事でした。
渡米前に挨拶に訪ねた際、88才でしたが あまり外出していないようなので公園に手を繋いで散歩に出掛けました 祖母は喜んでいたしその時は良かったのですが、後で考えると2日後に 亡くなったので私が至らん事してしまったかなと後悔しました。
ロスアンジェルスに向かう飛行機の中では乗客は一杯で私の隣の席は 黒人の可愛い2,3才の女の子、その隣にはお母さんらしき日本人の女の人 時間が経つにつれて女の子に好かれベタベタしてきます、キスでも してきそうな勢い、お母さんは私を見てニャニャ笑い29才の大の大人である 私ははずかしいやらどうしていいのかわからない状態に突入、 これがアメリカのスキンシップか、と思いながらアメリカに向かう私でした。

ミヤムラリゾートテニスの大きな特徴は家族で観光地を旅行するかたわら、 家族全員でテニスを楽しむことができることにあります。 ご存じの通り富士五湖周辺は有名な名所旧跡も沢山あり、 富士急ハイランド等、大型リクレーション施設等もあります。 観光、遊ぶ合間に家族全員でテニスも楽しもうということです。 今回受講されたのは大学体育会レギュラーのお父さん、 大学同好会でテニスをやっていたお母さん、子供2人はほとんどテニス経験のない娘さん達の4人家族、でした。 お父さんは大学時代にチームのキャプテンをやりリーグでチームを優勝に導くなど本格的にテニスをやっていたつわ者です。 レベルがバラバラのファミリーですが、お父さんには子供達にテニスを上手くなってもらう為に少し我慢していただきましたが、 グループレッスンの合間、合間に特訓をすることで満足調整を図ります。 グループレッスン中、子供達はお父さんのテニスのうまさに感動、 日常生活では見られない逞しさを発見するなど楽しさ一杯のグループレッスンでした。レッスン生は待っている間、隣の1時間500円のコートも借りて練習することも出来ます、なんと言っても土、日、祭日に プライベートレッスンを受けることができ、ここパインテニスロッジでは コートを1時間500円の安価で使えることが最高のメリットになります。

第1回 アメリカにテニスの武者修行に出かけたのは1976年<昭和51年>アメリカ200年祭の年でした当時は1ドル310円数年前まで360円の固定制から 1973年から変動相場制になり私が渡航する時は少し安くなっていてそれでも1ドル310円でした。
フロリダまで片道30万円近く航空運賃かかりました、成田空港は未だ無く羽田からの出発です、海外に行くとなると見送りが凄くてたくさんの人が来てくれました。
京王テニスクラブの仲間達、教えていた高校の生徒、私の父等総勢50名ぐらいの見送り人です、ロビーからエスカレーターに乗り搭乗口に向かい手を振りながら上がって行くと皆さん怪訝な顔をしてます、それもそのはずエスカレーターは隣の売店に行くエレベーターだったのでした。
これからの長旅、大丈夫かというような皆さん表情をしています、飛行機のタラップからカワサキの木のラケットを高く大きく振り上げデッキの皆さんに出発のサインを送りました。
ちなみに飛行機会社は今は無きPAN AM パンアメリカン航空でした。

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