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第18回 聞いて下さい私の独り言 Speaking to one self 留置場から収容施設に移動
留置場の中ではこの2,3日いろいろな事がありすぎたので、疲れて雑魚寝でも寝る事ができました。
翌朝、 車で収容所に連れて行かれたのですが、そこには500人から600人外国人が収容されていました、ほとんどかメキシコ人で日本人は私1人のようでした、どうしたのかカナダ人も1人いました。
そういうわけで係官はスペイン語しか話しません。収容所の中ではテレビをみたり、バレーボール、卓球等の運動を皆さん楽しそうにしていましたが、私はとてもそんな気持ちになれませんでした。
収容所の外に見える建物の屋根には弁護士の看板が沢山見えます、いつでも相談受付ますとか、開放されたければお電話下さい等です。
収容者の何人かが私に物を売に来ます、タバコとか日用品等です、刑務所ではないのでタバコ等も売ることが出来るのだと思いましたが、何人かの収容者は警備スタッフに頼まれて売っているのだと感じました。
食事は一列にならんで順番にもらいます。トレイの上に載せてくれるのですが スープはトレイのお椀のように凹んだ個所に入れてくれます、牛肉とか鳥肉とかメニューはそんなに悪くないのですが、私は全く食べる気になれないでいると、隣のメキシコ人が食べないの、もらっていい と言ってくるではないですか、お腹は2日位食べて無いのですから空腹なはずですがこれから先どうなるかを考えるととても食べる気にはなれません。
食事は食べ終わらなくても順番が来ると席を立たなくてはなりません、最初にスプーンを返します、料理を列んでもらう時はスプーンは最後でしたが返す時はまずスプーンからです、映画のスティーブ マックインの大脱走が頭に浮かびました、刑務所から脱走するアメリカ映画で第二次世界大戦のドイツの捕虜収容所からスプーン1本で脱走を試みるのです。
昼食時間が過ぎ次は夕食なのですが今晩ここで寝なければならないと思うと憂鬱になります、夜になるといろんなことがあるみたいで、男も襲われる事があるそうです、そんなこんなを考えている時、所長から私に呼び出しがかかりました。

第17回 聞いて下さい私の独り言 Speaking to one self In Elpaso,Texas. I was put in jail .テキサス州 エルパソで留置場に入れられる
テキサス州エルパソのバスの中で国境警察の検問を受けパスポートにI 94 (入国時に発行される出入国記録用紙)が付いて無いと言う事で留置場に連れて行かれる事になりました。
そこには国境を不法入国したメキシコ人が10人位おり、中には女性もいました。
留置場で一晩過ごす事になりましたが雑魚寝でそこにあるトイレにはドアもなくトイレットペーパーもありませんでした。
私はこの2,3日まともな食事を取っていないのでトイレを利用することはありませんでしたが、今更ながら大変な事になってしまったと思いました。
奈落の底に落ちるとはこの事かと実感しました。
明日はここから収容所に送られそこに3ヶ月間収容された後、日本に強制送還だと係官は言っていましたが留置場にはメキシコ人ばかりなので係官はスペイン語しか話しません。
日本への送還の費用は日本の身元引受人である親が払うことになると思いますが、羽田空港から多数の人に見送られ意気揚々とアメリカに来た私はほとんどまだテニスの事は何も勉強していなくて、強制送還となるとどんな顔して日本に帰れば良いのかと眠れぬ夜になりました。
It was a sleepless night as they were to be sent to the camp tomorrow morning .
Many things have happened since Las Vegas and I have finally fallen in to the abyss.

第2回冲縄テニスキャンプ無事終了、Clear sky . wind calm
冲縄ユインチホテルで開催された3泊4日のテニスキャンプは平均気温20℃−23℃の中、実施することができました。
昨年は冲縄は日本一のコロナ渦にあり飛行機に乗るにもPCR検査を義務付けられキャンセル続出で大変な状況でしたが今回は5日間天気にも恵まれ風も無風状態で最高のテニス日和の毎日でした。
参加者は京都、秋田、名古屋、横浜、東京、と多方面にわたりましたが、飛行機利用なので来やすかったと皆さん言っていました、航空運賃も早割で京都から往復で1万5千円で済んだという旅慣れた方もいました。
昼食は本来スケジュールにはありませんが、美紀プロの冲縄の両親が冲縄のSPAMおにぎり、沖縄そば、沖縄の餅ムーチー(鬼餅)健康、長寿の祈願の縁起物のとして食される餅やサーターアンダーギー等の差し入れがあり美味しく頂きました、昨年もそういえば差し入れしていただきました。いつも大量の手作り有難うございます。
キャンプ中には宮村美紀プロの契約先であるプリンスラケットから最新のラケットも沢山用意され試打会も行われました。
レッスンが終了した翌日は希望者のみで冲縄観光に出かけましたが昼食はメキシコ料理のタコス、タコメシを頂きました、最高に美味しい馴染みの店でした。

第16回、Speaking to one self. テキサス州エルパソで国境警察にパスポートチェツクで大変な事に
ラスベガスのカジノでギャンブルで負けて一夜にして奈落の底に突き落とされてしまった私ですがロスアンゼルスからフロリダまでのバスチケットは持っていたので何とかロスまで行こうとヒッチハイクを決意しました。
ロスまで約430km映画などで良く見られるシーンですが全く初めての試みです。
親指を立てサムズアップしていると車が止まってくれるではないですか、幸運なことにアメリカインディアンをルーツに持つ男性で聞けばロスアンゼルスに向うといい乗せていただくことになりました。ラッキー
車の中では私がアメリカに来た経緯
どうしてヒッチハイクなのか等いろいろ話は盛りあがりロスまではあっというまでした。
お礼を言って車を離れようとすると、H iroshi これ使ってと20ドル(約6000円)くれるではないですか、異国で見ず知らずの人にヒッチハイクをさせてくれて、お金までくれるとはあまりに親切なので分かれた後、涙が止まりませんでした。
フロリダ行きのバスに乗りアリゾナ、テキサス、ミシシッピとフロリダまで4200kmととんでもないバス旅になります。
テキサス州エルパソにバスが差し掛かった時、国境警察官が数人バスに乗り込んで来ました、テキサス州ではメキシコからの不法入国者が多く最近ではトランプ大統領が公約で国境に壁を造るなんてことも言っていました、バスでは数人のメキシコ人が逮捕され、私にもパスポートの提示を要求してきました。
その結果係官がバスを降りろといい拳銃を持って無いかの身体検査が始まりました。パスポートにI94 が付いてないと言うのです、(I94 とはアメリカ合衆国入国する為の出入国記録用紙)
そこで私がI94 はビザ切り替えの為にジヤクソンビル移民局に申請中なのでパスポートには付いて無いと言うと移民局に係官は連絡をとりその結果そんな申請は出てないと言ってメキシコ人と同じように逮捕されてしまったのです、お先真っ暗とはこの事だと。
The officer said no such application has been filed with the Jacksonvill imigration office,

第15回Speaking to one self クリスマス休暇を利用してカルフォルニアの友達ファミリーを訪問
渡米して初めてのクリスマスシーズンがやって来ます。アメリカの人達にとってクリスマスは日本の正月のように大切な休みなので学生も故郷に帰省したり、旅行したり余念がありません。
私もこの休みを利用してアメリカの両親であるアイクとダットのいるターズンオークス、カルフォルニアを訪問することにしました、とは言っても働きながらコーチの勉強が出来るH3のトレーニーのビザに切り替えの返事が移民局からまだ来ていないので心配なのでフロリダ大学コーチのパーマーに聞いたところ、まあ、大丈夫だろうということで出かけることにしました。
行きは飛行機で帰りはバスのチケットを買いアメリカを観てみたいと計画しました。ロスアンジェルスの友達ファミリーは歓待してくれ、孫と海に行ったり、プールで泳いだり、テニスを教えてくれと言うので近くの高校のコートでテニスしたりしましたが、驚いたのはアメリカでは勝手に高校の施設に入って使用することができるのです、フロリダでも大学のコートを誰の許可も得る事もなく使用できるので、日本では考えられないことだと思いました。
友達の両親アイクとダットは先月旅行したラスベガスのショー、カジノの旅行の話をしてくれましたがよっぽど楽しかったのでしょう、Hiroshiも行ってみたらと言うことで急遽行く事にしました。
Circus Circusと言うホテルでカジノ、テーマパークを備えていてショーも毎晩のようにやっています。ホテルの宿泊料金は豪華なホテルなのに日本のビジネスホテル並みの料金です、今でも同じホテルが1泊4000円位ですから驚きです、ホテル料金ではなくカジノで散財させるという算段だと思います。Casino Gambling
ルーレット、ポーカー、スロット、ブラックジャック等一通りやりましたがスロットで30万以上勝ちその夜は美味しいディナーを食べる事ができましたが甘い話は無いと思いつつ同じマシンに翌日も挑戦大負けをしていまいました、当時はカードもなく、地方銀行なので預金を引き出す事もできず、僅かなお金でバスでフロリダまで帰ることを決意、食パンを何個か買ってラスベガスからまずロスアンゼルスまでヒッチハイクすることにしました。運良くアメリカインディアンの末えいと言うアメリカ人に拾ってもらう事ができトラックでロスアンゼルス迄向う私でした。