ミヤムラリゾート 情報
第22回、聞いて下さい私の独り言、Speakig to one self.両手打ちバックハンドの教え方を學ぶ
In Florida . the two handed backhand was the first of its kind in the world and was widly used by children, 1970年頃までは世界でバックハンドを両手で打つという発想はあまりなかったのでフォアハンドもバックハンドも片手で打つのが普通でした。
それが1974年にウインブルドンでフロリダ半島出身のジミーコナーズが1976年−1980年ウインブルドンでスウェーデンボルグが両手打ちバックハンドで5連覇、フロリダ出身のクリス・エバート、コナーズ、ハロルド ソロモン等が両手打ちバックハンドでメジャートーナメントで活躍するようになるとバックハンドの両手打ちは世界で注目をあつめるようになりましたが、フロリダではほとんどのジュニアが世界に先駆けて1976年当時にはトーナメントで両手打ちバックハンドで活躍しておりました。
当時はほとんどのラケットは木でできており重く、大人のラケットは400グラム近くあるので子ども達が両手で始めるのは理に適っているし、特にバックハンドの両手打ちは非力な人には向いていると思いました。
私のボスのパーマーの奥さんBeth Palmerはバックハンドは両手打ちを子供達に教えていました、これから私もここで教えるに当たって両手打ちの教え方を習わなくてはと思いました。
パーマーテニスで教えるには両手打ちは習ったことも打ったことも無かったので特に念入りに教えてもらうことになりました。。
第21回 聞いて下さい私の独り言、Speaking to one self 、待ちわびていたトレーニーの 査証がやっと届きました
フロリダゲインズビルに戻り以前のようにテニス漬けの毎日になりましたが、既に渡米して半年が経っていました
テニスの本場アメリカの最新テニスを学びに来たのにまだ何も習ってないと思い、これからアメリカで有名なテニスアカデミーを時間の許す限り片っ端から受講する事にしました。
バンダーミアー、ハリーホップマン、ビックブレーデン、アメリカプロ協会アカデミー、アメリカテニス協会テニス指導者講習会等です。ジミー、アリエス、シャラポアのいたニックボロテリーテニスアカデミー(現IMG)はこの時代はまだ存在してません。
USTAを除くアカデミーは10日間で宿泊費を含めて約1000ドル以上かかり日本円で30万位です、1977年当時は1ドル310円でしたから移動の飛行機代も含め大変なお金がかかります。
フロリダに戻って来てしばらくして、査証トレーニーVISAがマイアミの入国管理事務所から送られてきました、これでテニスを教えながら勉強も安心してできる事になります。
新しいビザの有効期限は1年間ですが毎年更新する事も出来ます、もっと早く届いていれば人生最大のピンチを経験しなくて良かったのにと思いました。
第23回、フォアハンドスライスやドロップショットは試合中ペースを変えるのに貴重なショット
Forehand slices and drop shots are valuable shots to change pace during the game. フォアハンドトップスピンドライブは確率が良く安心してハードヒットも出来るので、試合ではこれを主にフォアハンドは打つわけですが、それでもトップスピンだけ打っていたのではいくら威力あるフォアハンドでも相手に慣れられてしまいます。
相手の打ってくるボールのバウンドも高かったり低かったり咄嗟に対応しなくてはならない場合もあります、そういう場合トップスピンに比べるとスライスはテークバックも短くて相手の打ったボールに合わせるように打つことも出来ます。
スライスは打ったショットがバウンド後低く滑るので相手のリズムを崩すのにも役立ちます、スライスはボールのバウンドより高い位置にオープンフェイスで構え打点ではボールに回転かかかり過ぎないように厚く打ちます打ったあとはラケット面はオープンフェイスになります。
ロビングファミリーレッスンやりました。
5月の3.4.5.6.7日の連休にミヤムラロビングキャンプをやりたいと計画しましたが、流石にゴールデンウイークはロビングは満室でした。
そこで4月29日、30日にファミリーキャンプを計画、2家族+アルファで実施致しました。
別館に宿泊しインドアコート使用プライベートレッスンは別館前のコートを使用。
昨年、一昨年と同時期にパインテニスロッジでファミリーレッスンをやりましたが、今年は無理かなと皆さん思っていたみたいですが、できました。
テニスコート前のバーベキューはマネージャーが料理長で特別料理を作って頂きました、バナナのバーベキューは美味しく、子供達の為に花火もやりました。
ロビングはコロナ禍で大変な打撃をうけましたが、ビーチテニスコート、ビーチバレーコート、が完成、もうすぐパドルテニスコートも完成するみたいです。
第20回、聞いて下さい私の独り言、フロリダゲインズビルに無事到着 Coach B E Palmer and Steve were picking up in Gainesvill.
エルパソからバスに乗ってフロリダゲインズビルまで約2500Km、日本で言うと北海道から鹿児島までの距離でありバスで30時間以上かかります。
考えてみますとバスは飛行機に比べ代金は大幅に安いので不法入国者はバスを使って移動するので国境警備隊の捜査が入ったのだと思いました。
フロリダまでかなり時間があるのでこれからのアメリカの予定を考えることにしました、今のようにインターネットがある時代とは違いテニスの情報も伝わり難くテニス大国アメリカと日本のテニスの差は計り知れないものがありました。
特にバックハンドの両手打ちは日本ではまったくと言っていいほど誰も使っていないのにフロリダのジュニアのほとんどが両手打ちバックで試合をしておりアメリカの他の州ともまったく違っていました。
当時フロリダ出身のジミー コナーズ、クリス エバートが両手打ちで世界で活躍するのもうなずけます。
レッスンはプライベートレッスンが主流でグループレッスンはそんなに盛んではありませんでした。
フロリダに帰ったらバンダーミアテニスユニバーシティ10日間がフロリダのシーバリングであるので受けようと思いました、レッスン料金は500ドル、1ドル310円の時代ですから15万円以上かかり10日間宿泊するとまた他に500ドルかかります、アメリカ人は安いモーテルに宿泊したり車で寝たりしていましたが、私には情報がないので安全を考え指定のホテルに泊まることにしました。
ゲインズビルではパーマーコーチと友人のスチーブが心配して出迎えに来てくれていました。

