ミヤムラリゾート 情報
第16回、Speaking to one self. テキサス州エルパソで国境警察にパスポートチェツクで大変な事に
ラスベガスのカジノでギャンブルで負けて一夜にして奈落の底に突き落とされてしまった私ですがロスアンゼルスからフロリダまでのバスチケットは持っていたので何とかロスまで行こうとヒッチハイクを決意しました。
ロスまで約430km映画などで良く見られるシーンですが全く初めての試みです。
親指を立てサムズアップしていると車が止まってくれるではないですか、幸運なことにアメリカインディアンをルーツに持つ男性で聞けばロスアンゼルスに向うといい乗せていただくことになりました。ラッキー
車の中では私がアメリカに来た経緯
どうしてヒッチハイクなのか等いろいろ話は盛りあがりロスまではあっというまでした。
お礼を言って車を離れようとすると、H iroshi これ使ってと20ドル(約6000円)くれるではないですか、異国で見ず知らずの人にヒッチハイクをさせてくれて、お金までくれるとはあまりに親切なので分かれた後、涙が止まりませんでした。
フロリダ行きのバスに乗りアリゾナ、テキサス、ミシシッピとフロリダまで4200kmととんでもないバス旅になります。
テキサス州エルパソにバスが差し掛かった時、国境警察官が数人バスに乗り込んで来ました、テキサス州ではメキシコからの不法入国者が多く最近ではトランプ大統領が公約で国境に壁を造るなんてことも言っていました、バスでは数人のメキシコ人が逮捕され、私にもパスポートの提示を要求してきました。
その結果係官がバスを降りろといい拳銃を持って無いかの身体検査が始まりました。パスポートにI94 が付いてないと言うのです、(I94 とはアメリカ合衆国入国する為の出入国記録用紙)
そこで私がI94 はビザ切り替えの為にジヤクソンビル移民局に申請中なのでパスポートには付いて無いと言うと移民局に係官は連絡をとりその結果そんな申請は出てないと言ってメキシコ人と同じように逮捕されてしまったのです、お先真っ暗とはこの事だと。
The officer said no such application has been filed with the Jacksonvill imigration office,
第15回Speaking to one self クリスマス休暇を利用してカルフォルニアの友達ファミリーを訪問
渡米して初めてのクリスマスシーズンがやって来ます。アメリカの人達にとってクリスマスは日本の正月のように大切な休みなので学生も故郷に帰省したり、旅行したり余念がありません。
私もこの休みを利用してアメリカの両親であるアイクとダットのいるターズンオークス、カルフォルニアを訪問することにしました、とは言っても働きながらコーチの勉強が出来るH3のトレーニーのビザに切り替えの返事が移民局からまだ来ていないので心配なのでフロリダ大学コーチのパーマーに聞いたところ、まあ、大丈夫だろうということで出かけることにしました。
行きは飛行機で帰りはバスのチケットを買いアメリカを観てみたいと計画しました。ロスアンジェルスの友達ファミリーは歓待してくれ、孫と海に行ったり、プールで泳いだり、テニスを教えてくれと言うので近くの高校のコートでテニスしたりしましたが、驚いたのはアメリカでは勝手に高校の施設に入って使用することができるのです、フロリダでも大学のコートを誰の許可も得る事もなく使用できるので、日本では考えられないことだと思いました。
友達の両親アイクとダットは先月旅行したラスベガスのショー、カジノの旅行の話をしてくれましたがよっぽど楽しかったのでしょう、Hiroshiも行ってみたらと言うことで急遽行く事にしました。
Circus Circusと言うホテルでカジノ、テーマパークを備えていてショーも毎晩のようにやっています。ホテルの宿泊料金は豪華なホテルなのに日本のビジネスホテル並みの料金です、今でも同じホテルが1泊4000円位ですから驚きです、ホテル料金ではなくカジノで散財させるという算段だと思います。Casino Gambling
ルーレット、ポーカー、スロット、ブラックジャック等一通りやりましたがスロットで30万以上勝ちその夜は美味しいディナーを食べる事ができましたが甘い話は無いと思いつつ同じマシンに翌日も挑戦大負けをしていまいました、当時はカードもなく、地方銀行なので預金を引き出す事もできず、僅かなお金でバスでフロリダまで帰ることを決意、食パンを何個か買ってラスベガスからまずロスアンゼルスまでヒッチハイクすることにしました。運良くアメリカインディアンの末えいと言うアメリカ人に拾ってもらう事ができトラックでロスアンゼルス迄向う私でした。
小田急相模原のミヤムラテニスセンター時代に20代だった生徒が訪ねて来てくれました
ミヤムラテニスセンターは多摩センターで20年間営業しましたが、その前は小田急相模原の東海大相模高校の近くで17年近く営業してました。
その当時20代だった生徒3名がミヤムラリゾートテニスに9月末訪ねて来てくれました。
小田急相模原時代、ナイタースクール、キャンプ、中野サンプラザでのクリスマスパーティー等(10回)沢山の行事に参加して頂きました、当時はスクールでの出会いから結婚に至るカップルも沢山いてスクールの盛り上がりも半端ではない状況でした、コーチも全員独身、若い女性も沢山在席していてそれに群がる男性も一杯、イベントの盛り上がりも半端ではない状況でした。
当時の若くて美人の生徒達もあれから35年近く経ち60歳近くになりましたが、本当にそんなに時が過ぎたのかと思われる位皆さん元気一杯で温泉に入っり食事したりして楽しい時間を過ごしました、急用で来れなかった1人が当時一番弾けていた子だったのでいたらもっともっと楽しい時間になったのではと残念に思います。訪ねて来てくれて有難う御座いました。
イラストレーターの宮古さん、カメラマンの富岡さんがミヤムラリゾートテニスに遊びに来てくれました
40年以上に亘りイラストと、写真でお世話になっているイラストレーの宮古さん、富岡さんが忍野に遊びに来てくれました。
今までに出した本、9冊、ビデオ、CDカレンダー、テニス雑誌、スマッシュ等の連載技術もの等、二人の助けがなければ無理だったと思います。
宮古さんは学習研究社が出していたT、TENNISでも何十年と技術物のイラストを担当、その後はテニスマガジンのイラストもテニスのイラストでは彼の右に出るイラストレーターはいないと、私は確信しております。テニス歴も長くテニスでゲットしたかなり年下の奥さんと東京マラソンに出たりしてます。富岡さんには私の結婚式の時の写真は勿論の事、家族の七五三の写真を全部撮って頂いただいたり長い付き合いになります。
今回は山中湖、河口湖では温泉巡り、美味しい日本食も行きましたが、テニスもやりました、これからも3人頑張って生きて行きたいと思います。私のホームページのイラスト、写真は今でもお世話になっています。
第14回 speaking to one self (アメリカでは日本では考えられないスケールの違いがある)
練習試合をいつもチャレンジしてくるマック、身長は1メートル90センチ近くあるターザンを思わせる大男、サーブは200km/hあろうかと思わせるほど速い、それを返球するとストロークは大したことはないのでなんとかゲームにはなります。
そのマックがある日サーブ後に大声をたてるのでどうしたのかと思いきや当時アメリカで売っていたヨネックスのうす緑いろのアルミのラケットフレームをサーブでひし形に曲げてしまったのです。彼の体つきはプロレスラーかと思うぐらいマッチョ、その彼が来週自分の家で野球をやるので来ないかと誘いがあり行くことにしたのです。
彼の家は野球ができるだけの敷地がありその中には今にも崩れそうな曾祖父の家があり、祖父の家、お父さんの家、そして自分たちが今住んでいる家があるのに驚いてしまった、100年以上経った3世代の住んでない昔ながらの家がそのままあるのには日本人には考えれないと思いました。
テニス仲間で野球をしバーベキューで腹一杯になり楽しい一日になりました。そんな事で驚いた私ですが、テニスやりに来ないかと誘われた歯医者のマッケンジーの家に行った時のこと、彼の家にはテニスコート2面、プールそして彼が地平線を指してあそこまでが私の土地だと言うのです、馬に乗って走っても3時間以上かかると思う広大な敷地、一人でこんだけの広大な土地持っていいのかと思いました。