
先日ビーチテニスのサーブの
屋外にビーチテニスコートが2面、ビーチバレーとビーチテニスはコートのサイズは同じでネットの高さは少し違いますがビーチテニスは180センチです。
そばではビーチサッカーの練習もしていました。ヨーロッパ、南米ではビーチテニスは盛んなようで砂浜があればポールを立ててすぐに何面でもつくれ、お金もかからない手軽さからか試合も頻繁に行われています。
今年になって私が永年利用している伊豆のロビングもビーチテニスコートとパドルテニスコートを宿舎前に増設しました。
ビーチテニスのネットは高いのでほとんどスピンサーブ、またはスライスサーブが主でフラットサーブは使えません。
私がサーブを教えた郷田哲選手は以前ミヤムラでコーチもしていました。
今アジアナンバーワンで世界ランキングITF 72位これからフランス領レユニオン島、イタリア、南アフリカに遠征に出ます、レッスン後の写真は郷田君と同じくビーチテニスで頑張っている宮坂ミサさん。

フロリダ州ゲインズビルの中心にあるセブンイレブンのそばのアパートから1人住まいすべくハワイアンビレッジと言うアパートに引っ越すことにしました。
当初町の中心部に住むと何かと便利だと思いましたが、自転車を盗まれたり治安も悪いのと、またルームメイトがいた方がアメリカに慣れるにもいいと思ってましたが、夜になるとガールフレンドが訪ねてきて彼女の声が響き、しかも私の部屋の入り口はドアではなくてカーテンだけだったので大変な思いをしました。
新しいアパートは家賃は高いのですが、友達が綺麗な所に住むと付き合う人も違ってくるからと言うのです。
敷地内にはでっかい池が二つありワニが住み着いていました、ワニという名前をつけて毎日のようにエサをあげていたら、テニス仲間の中学の先生がワニは気を付けないと瞬間的に馬より速いと言うのです、また唐揚げをエサであげていたら、鳥の骨は喉に刺さることもあるから止めた方がいいとも言うのです。
自転車で10分の所にあるウエストサイドテニスコートに毎日のように通っていたらそこでレッスンをしているスチーブ.マッキンストリーコーチと親しくなり、こんどダブルス組んで試合に出ようと誘われ、これがきっかけにアメリカでこれから全面的にお世話になるフロリダ大学女子テニスチームのコーチB.Eパーマーと出会う事になるのです。

フロリダ大学の町ゲインズビルは人口約10万人そのほとんどが学生とその関係者という若者の町でした。
私の友人在日米軍指令部の副官は2年前に除隊しゲインズビルで家具製造会社を立ち上げていました。
どうりで日本にいる時アウトドア用品の店に足繁く通っていると思いました、考えてみますと海兵隊にいると生活は保証されますが、自分の生まれ育った町には帰れないので故郷で生活するにはと考えた結果で、奥さんは大学病院に勤めていました。
初めの数日は彼のお母さんの家に居候していましたが、そこにはバンザイと言う名の大きな犬がおり可愛がっていたら数日後身体中がかゆくなり大変でした、のみです。
その後町の中心地のセブンイレブンのそばのアパートに移動しました、まだ日本にはほとんどコンビニエンスストアがない時代でセブンイレブンの1号店舗が1974年の豊洲に有ったそうですが1976年当時何千と言う店舗がアメリカでは展開していてそのセブンイレブンがアメリカの会社ではなくて、今では日本の会社になり今は1万店舗日本に有るというのは覚醒の感があります。
その後練習に行くのにアパートの駐輪場に停めてあった自転車を盗まれてしまいました、私のだけではなくアパートの住人全員のですから驚きです、でっかいトラックで来て30台全部盗んで行ったみたいで隣の州に持って行って売りさばくみたいです。
まずはアメリカはドロボーもスケールが違うなと思いました。


当初私はオーストラリアに留学するつもりで暇を見つけては、150円洋画を新宿に観に行ったり、調布にあるアメリカンスクールのラボを聞きに行ったりして英会話のレベルアップを図っていました。
当時オーストラリア出身のケン・ローズウオール、ジョン・ニューカム、トニー・ローチ等が世界のテニス界を席巻しておりオーストラリア全盛の時代でもあったからです。
私は1971年頃から在日米軍の人達にテニスを教え、富士登山のガイドも頼まれたりしておりました。とりわけ当時の在日米軍総司令官スノーデン中将とその指令官室のスタッフにもテニスを教えていたので、彼らに私のオーストラリアテニス留学の夢を話したところ、Hiroshi今はテニスはアメリカだよと強く薦められ特に指令室の副官はフロリダ出身であり応援するよ、とまで言ってくれたのです。
私は大きく(Change mind)することになりました、アメリカのテニスの育成システムは世界一だと彼は言うのです、フロリダ出身のジミー・コナーズ、クリス・エバートが両手打ちバックハンドで活躍しており、当時、ビョン・ボルグも両手打ちバックハンドでウインブルドンで優勝する等、同じ両手打ちバックハンドでも、3人は全く違う打ち方をしていました。
フロリダは両手打ちが盛んだと聞いていたのでこれは勉強になるなと思いました、私が着いたのはフロリダ大学の街ゲインズビル、大学にはコートが50面以上あり、パブリックコートが150面、市民は10万人、それもナイター照明完備、特別のテニスコートを除き全て無料で使用出来るのですからテニスプレヤーには夢のような環境です。